ワカモノ思想

ワカモノ達が一つのテーマについてあれこれ書きます

食事を無から思い出へ

 みなさま、初めまして。関東のとある私立大学薬学部薬学科(6年制)2年生のやくうつと申します。メンタルヘルスをいわしつつもなんとか大学に進学し、日々試験、レポート、己のココロとのアツい戦いを繰り広げたり繰り広げなかったりしながら暮らしております。文章を書くという行為に慣れてないので僕がなんとなく考えていることをだらだらと書き下すことになるだろうと思います。よろしくおねがいします。

 

 気心の知れた仲間との食事は楽しいですか?僕は楽しいです。険悪な雰囲気の中、生産性があるのかどうかも怪しいミーティングをしながらの食事、楽しいですか?僕はつらいです。高校時代に文化系の部活に所属していたとき、練習時間を極力無駄にしないために昼食の時間に会議をしようとなったことがあったのですが、会議はまとまらず対立が深まり食事も十分にとれなくなるとまあ、散々なことになってしまいました。これには昼休憩で解放されないことのストレスというのも大きいとは思うのですが、僕は食事という行為自体に感情に対する作用があったのではないか、ということを考えてしまいます。

 すこし考えてみると、食事中ってそのときの感情が増幅、あるいは表面化されやすいような気がします。冒頭にも書いたとおり、楽しい仲間との食事は(たとえ会話がなくとも)よりたのしいし、辛いときの食事はよりつらい。小さい頃楽しかったことを家族に報告しながら食べるごはん。父親の帰りが遅くなり、いつもよりもすこし寂しい雰囲気で食べるごはん。仕事で嫌なことがあったのか、八つ当たりのように叱られながら食べるごはん。お祝いのために注文した出前や普段は行かないゴージャスな外食。大学の友人と深夜に貪る家系ラーメン。レジャー施設やスポーツ観戦での軽食はまた独特の趣があったなあ。と、ほんの少し記憶を廻すだけでもたくさんの思い出がやってきました。食事は思い出と結びついて記憶されやすいのだと思います。どうにもつらくて眠れない夜、暗い中ひとり無言でカップ麺をすすっていたら涙がこぼれてきたという経験はありませんか?(僕はあります)

 ずらずらと自分語りを垂れ流していったい何がいいたいのかというと、食事という行為をもうすこし大切にしてみませんかということです。食欲は最も満たすのがラクな生理的欲求であり、またその気になればストレスを燃料に際限なく貪りただ時間と健康を浪費することもできます。ただ僕はせっかくなら食事を感情のゴミ処理に矮小化するのではなく、もうすこし文化的に食事を楽しみたいと思っています。忙しくて趣味や娯楽にリソースを割くことができなくても、食事は摂れるはずですので。

 大変にひどい話で恐縮ですが、(向精神作用をもつ)薬物を嗜む際には本人の主観的な気分、思考である「セット」と周囲の環境である「セッティング」という概念が重要だと聞いたことがあります。これはある程度食事にも当てはまるかもと思うんですよね。(ドラッグを推奨するわけではありませんよ!ダメ。ゼッタイ。

 環境のセッティングはセットに大きな影響を与えます。たとえばサバの水煮缶、開けてそのまま食べるには少しさみしいですよね(勿論、だがそれがいい、という方は全く問題ありません!)。しかし、これをごはんに載せ醤油を加え、ショウガやネギ、かつお節で飾り付け、最後にごま油かラー油を少々かけてみたらどうでしょうか!テンション上がってきませんか?これが文化です(?)。ちょっと面倒でも、どーでもいいひと手間を加えることであなただけのオリジナルな食事を楽しめます。そしてこれは調理に限ったことではなく、好きな音楽をかけたり(歌ったり)、照明を消してろうそくの光のみで食べてみたり、またあえて全裸で食事に挑むなど、セッティングの幅は無限大です。

 とはいえ、現実世界に干渉するセッティングはどうしても手間がかかるので忙しかったり限界が近い人間には難しいと思うので、セットを整える方向を目指します。しかし自分の精神を直接操作するというのはなかなかできない、というかできたら苦労しませんよね。そこで行動療法に頼りましょう。あいさつです。

 「いただきます」「ごちそうさまでした」という言葉、僕はこれを食事を提供してくれた人間や食物となってくれた生物、自然の恵みへの感謝を込めたものであると教わりました。しかし、これは食事というナニカに挑む自分のスイッチを切り替える一種の儀式でもあるとも思っています。なんにも意欲が出ない、もう疲れた、人生クソくらえ、そんなときでも一言(できれば声に出して)唱えてみましょう!食事の内容は関係ありません。元気よく発声する必要もないです。それだけで、目の前の有機物は食物へと変化します。無理に楽しんで食べることもないですよ。ただ僕は、食事をただの栄養摂取、食欲充足手段とするにはあまりにももったいないなあと思うのです。いつもの食事でも意識してあいさつをするだけで、そこに文化が生まれ後の思い出として残りやすいのだと思っています。

 そして、セッティングで書いた食物のグレードアップはなにも現実の事象に限ったことではありません。人間の想像力は無限大です。サイゼリヤは高級イタリアン、カロリーメイト宇宙食、カップ焼きそばに海の家を感じながら毎日の食卓をぜひとも彩っていきましょう!

 

 ……と、まあ、ここまでいったい誰に向けて何を言っているのかわからないような文章を書いてしまいました(要は、毎日のルーチンをどうせならおもしろくしたいよね!ということです)。ファミレスでひたすらアイスティーを飲んでいたら形になった気持ちの垂れ流しですが、もしここまで付き合って頂いた方がいらっしゃったのならばとてもうれしいです。迫り来る試験への絶望を感じつつここに感謝の意を表します。