ワカモノ思想

ワカモノ達が一つのテーマについてあれこれ書きます

僕食禄

 いただきます!

 はじめまして, 大学で化学を学んでる2回生のセレシーです. この度は, 何かしたいなーとテキトーに考えていた時にこのお話をいただいたので参加させていただきました. 今回は「食」とゆうテーマと聞いたので, 私が大学生になってから実践してきたことやボーっと考えていたことを書きたいと思います. 整理できてなくて「結局何言いたいの?」とゆう文もあると思いますが, 温かい目で見てくれるとありがたいです. 

 さて, 本題に入る前に私のバックグラウンドについて少し話そうと思う. 私が食事に対してまじめに興味を示しだしたのは小4のころだった. 家庭科の時間に実習ではじめて料理を作ってから, 「自分で作るのって楽しい!」と純粋に思い, そこから3年間, 毎週末の夕食は私は手料理を家族に作っていた. (その頃の定番は, カレーや焼きそば, カレイの煮つけとかつくってたなぁ...) 同時期に私はあるスポーツと出会った. ロードレースだ. 私が新しい自転車を乗り回して遊びに行っていたとき, ロードバイクが作るトレインが私の横を通り過ぎた. あの瞬間の疾走感やクールさは鮮明に覚えている. マジでかっこよかった. それをきっかけに, 私は今でもグランツールを追いかけては興奮している. 少し話し過ぎましたね, 本題にいきましょうか!(笑)

アートとしての「食」

 私は, 食事と美術館で鑑賞することは似通ったものがあると信じています. その理由には, 五感で楽しむこととその作品の自分にとってのすばらしさを考える点が挙げられます.

 私は食事を楽しむとき, 五感で楽しんでいる. これは同じような楽しみ方をしている方も多いだろう. 少し疑問点になるかもしれないので注意しておくと, ここでの触覚は口に含んだときの舌触りや箸などで間接的に感じる触覚である. 魚派と肉派と聞かれると私は魚派なのだが, この原因もここにある. 魚は種類によって舌触りや風味, 素材そのものを丸ごと食べられる点で非常に面白い. これらの違いを感じながら寿司や焼き魚, 煮魚を食べた時の感動はおすすめするよ! もちろん, 肉もおいしいけどね. あの筋繊維が切れるときを感じる楽しさは美味に直結するところがあるように感じている. 食のジャンルとしては, 和食はこの楽しみ方にとても合っているだろう. 超繊細な風味と食感, 舌触りが感じられるので, もし感じたことがない人は, 5千円くらいのコースでいいので, 一度感じてみてほしいと思う. 

 もう一つの食事の楽しみ方は, その料理を作る立場になってみることである. そこで考えたり妄想しているのは, 「自分なら何を±食材or調味料するか」と「試行錯誤と目指したもの」である. そこから, 作った人の試行錯誤や感性を想像して自分なりのすばらしさを見出すのである. 

 自分は学食や給食とゆうジャンルが割と好きで, 小学校のころからよく食べていた. おかげで丸々と太っていたけれど... そこそこおいしくてチープなところがちょうどよく愛せたのだ. しかし, 味付けや食材に飽きてきたころ, 自分で工夫しようと考えた. 学校にマヨやらケチャップやらポッカレモンやら持って行って, 日々味変して面白がっていた. その日から毎日の給食は刺激的で楽しかったのはとてもいい思い出である. この時期から, 化学変化における触媒の立ち位置を意識していたのかと今になったら感じることがある. この時は(今もだが)食事を自由に毎週作らせてくれた母(野菜や果物に関係する職)に感謝していた. なぜなら, きゅうりやキャベツ単体を食事として出しても怒られなかったからだ. 洗って食べるところから始まり, 調味料の追加, 加熱や冷凍, 他の食材と料理して食べる...と, 1食で1つの食材を中心に様々な食べ方を試行錯誤していた. その経験は, 学校で給食を工夫することにとても活きていた. 自炊も然りなんだろうが, 最近はめっきりやらなくなった. 自炊再開したいなぁ...とはずっと思ってる. (しないやつですよね~)

 私がしていた食材遊びは, 料理する人の行動を考えることにも繋がった. お店に行ったとき, 「うちはここにこだわってます!」的なのよくありますよね? それを見てから料理を食べるの, すごく好きなんです. その作品を完成させた人が, どんな試行と思考と志向をして作り上げたのかに触れたとき, 自分が劣っている面に気づけるんです. どんな材料を組み合わせたのか, 食材投入のタイミング, その繊細なこだわりに気づいたとき, 「大変でしたね」「風が吹きましたね」と思わずこぼれるのがたまらなくいい. 私は職人でも何でもないので, 細かなツッコミは受け入れかねますが, 自分のしていた体験をもとに, おいしいと感じるものを楽しみ, 面白く思っているのです. 

エネルギー補給としての「食」

 私がまじめに学習に対してアクティブになり始めたのは, 大学に入ってからである. 元々医学や薬学に興味があった私は(まぁいろいろ省略), 手当たり次第に薬の基本やら解剖学やらの本に手を出していた時があった. (1回生の時はバイトもせずそんな感じで独学していた) そのとき, いかに効率と集中を極めるか, 手を止めずに作業するかを考え, 創作したのは「1.75食生活」だった. 1日3食は私にとってあまりにも集中を削ぐものだったからだ. ご飯は愛しているが眠気を招く. そもそも食事の時間がもったいないなど様々なことを考えた結果そうなった. 昼に0.5食(軽く麺など), 夕方に1食(栄養バランスの調節), 間食に0.25食(炭水化物&タンパク質の源「グミ」). これが効果てきめんで, 1日5時間睡眠でも問題なく(普段8時間), 生産性が人生で最高に高かったように思える. 

 その生活をし始めて数か月後, ある男が情熱大陸に出ていた. 落合陽一だ. 彼は私が求めていたものをアップグレードし, 更には当たり前としている生活を送っていた. 「これはいい, 自分も試してみよう!」そのときのカレーの「作業感」はすさまじかった. しかし, その生活の狭間で食べる「洗練された食事」に対する感動に既に気づいていた私は, 「この均質が価値センサーを敏感にするんだ!」と自己を洗脳し, ほんの少し続けていた. しかしある日気づいた. 「将来を売って今を買っている」ことに. 早めに気づいてほんと良かった. 自分はあまり早死にしたいと考えていない個体なので, それ以来1.75食はできなくなってしまった. 

 しかし, その均質的な食事の片鱗は今も生きている. 近頃, 学食やスーパーで食べるものは, 大体同じものばかりなのだ. 価値センサーの強化もありますが, 急なエラーやシャットダウンが起こらないように, 社会の端で絶えてしまわないよう細々と食べている. みたいに. それはまさに, ロードレースにおける補給食そのものなのだ. 人生でハンガーノックが起こりたくはないですからね(笑)

 

 長々と自分の体験や考えを書き連ねてきましたが, 「食は楽しい」, これは多くの人に分かってもらえると思います. 補給食でも, それはそれで面白い価値が生まれるので楽しいのですよ(). 最後になりましたが, このような中学生以下の文を自由に書かせてくれたmeganeデスク氏と育ててくれた両親, 一緒に食事をしてくれた友達に感謝を申し上げます, ありがとう! 本文に関しては, こうゆうやつがいるんだな程度に思っていただければとても嬉しいです. それではまたどこかで会いましょう. 

 

ごちそうさまでした!