ワカモノ思想

ワカモノ達が一つのテーマについてあれこれ書きます

食の受動態と能動態~成熟のためのRepresent~

浪人社長わしむ @washimkk65 といいます。

ツイッターでは多動症のごとくふるまっていますが、せっかくの機会なのでゆっくりとひとつのテーマについて考えてみた。

なので、日頃のツイッターのテイストとはだいぶ違います。

日頃のフォロワーの方にも初見の方にも楽しんで読んで、また、考えてもらえれば幸いです。

 

では、本題に。

最近、他人と食事をともにすることが増えた。


現在、31歳になったが、20代のころはほとんど一人飯だったように思う。
記憶にあるのは、牛丼屋、コンビニ弁当、たまに財布にお金が入っていればいく立ち食いステーキ屋など、
一人でいけるところばかりだ。

それが変わったのは、ここ数ヶ月のことだ。

 

■自己紹介、あるいは食の受動態
私は、2013年に大学院を卒業して、新卒枠でIT系の起業に入社した。
そのころは、まだ買い手市場で、働き改革以前のため労働条件は今よりだいぶ悪かった。

 

最初に入ったプロジェクトには3年ほどいたが、100時間以上の残業はザラだったし、出張先では予約していたホテルのベッドできちんと寝れないことがよくあった。

また、そのころは会社の近くにアパートを借りて、会社と家の往復運動をしていた。
自炊などする余裕もなく(一人暮らし最初は少ししていた)、コンビニ弁当やファストフードばかり食べていたように思う。

 

このころの食事はまったくの受動的で、
・朝起きたから朝飯を食べる
・12時になったから昼飯を食べる
・会社終わったから夕飯を食べる
という感じだった。

 

自分の意思は関係なく、何らかのトリガーがあってはじめて食事をする、
受動的な食事だった。

 

その後会社では順調に昇進し、4年目でプロジェクトリーダーになる。
ヒト・モノ・カネの管理を要領よくこなすことができず、それまでの過労の蓄積もあり神経を病み半年間休職した。

休職している間は、起き上がれるようになると、自炊をして意外とうまく安く料理を作れることを知った。

 

復職後、池袋駅の隣の要町駅にある「イベントバーエデン」という店に出入りするようになる。
そこでは、客がイベントとしてバーテンをやる変わった店で、手料理や手製のカクテルを飲んだりすることをするようになった。
バーテンに立つのはわたしより若い人が多く、その人たちと酒食をともにするうちに、
「もっと、若者と時間をとって食事したいな」
と思うようになり、「若者の話聞く会」というイベントをするようになった。

 

 

■食の能動態 ~良質なコミュニケーション~
若者の話聞く会では、まずはおっさん(奢る人)の募集をする。
おっさんが4人集まったら一人あたりの予算に応じて、店と集める若者の人数を決める。

 

たとえば、予算が2万円なら、4000円の店に設定して若者は、おっさん1人あたり4人集めるという具合だ。
若者はツイッターで集める。基本的に選り好みはせず、早いもの順や抽選などで選ぶが、あまりツイッターをやっていない人はどういう人かわかりづらいので弾くことはある。

そんな感じで、「おっさん活動」と称して若者に飯をおごって酒食をともにするというイベントをだいたい月に1回やっている。

 

その中で思ったことがあるので、それを本稿では書きたい。


飯を奢るというのは、不思議なのものでこちらの意識が変更される。
奢る、という能動的な意識的な行動をすることにより、
自分は奢る側=おっさんになる。
おっさんであることを能動的行動で引き出していることに気づくのだ。

 

おっさんであるという自認を引き出すための最小単位は、
「自分より年下に飯を奢ること」
である。
しかし、単純に飯を奢るだけだと、つまらない上下関係ができて、
集まりとしては面白くなくなる。
なので、奢ることへの対価として「若者から話を聞く」を設定するというふうにずらすことにより、
会がうまくいくことに気づいた。

 

それはつまりこういうことだと解釈している。
世間一般では、上司部下の関係であるような飯の奢りでは、
「俺の言うことを聞け」というようなマウントポジションになりやすい。
このように、カネや立場を利用して自分をおっさんと辞任していく行動は、
「好ましくない成熟」だと定義する。
※なぜ、好ましくないかは私の価値観だが、おおむね合意を得られると思っている。
それでは、「好ましい成熟」とはなにか?

 

もっというと、「良いコミュニケーション」とはなにか?

コミュニケーションの良し悪しは、
「相手のしてほしいことをすること」態度にほかならないと思う。

これは、ごますりや忖度のようなものとは違う。
ゴマすりや忖度は、相手の「立場」に対する貢献意識であり、相手そのものは見ていない。
コミュニケーション不全によく見られる落とし穴である。
その当人同士の問題ならまだしも、財務省公文書偽造のような大きな問題を引き起こす可能性すらある重大な問題だ。
これは、社会的生物である人間のDNAレベルで刷り込まれたバグのようなものだと私は思っている。
では、「相手そのもの」を見てコミュニケーションをとるにはどのようにすればよいか?

それは、「聴くこと」にあると私は考えている。
よく話も聴かずに「相手が~を望んでいるハズ」と思って行動すると、たいてい失敗する。
なぜなら、「わたしにとってのあなた」に対する「立場」に対する貢献でしかなく、また先程の落とし穴に落ちてしまう。
相手の言うことを相手の立場になって聴く、という傾聴の姿勢が落とし穴の回避方法だ。

ここで、飯を奢ることに立ち返る。
・飯を奢ること=いいこと
・相手の話を聴くこと=いいこと
なので、「若者の話を聴いて奢る」は相手にとっていいことでしかない。

実際に、自分だけでなく周りの参加者のおっさんと若者を見ていると、
良いコミュニケーションがとれているように見える。
若者の話に共感しながら、自分たちの時代にはない価値観に気づいて感心の声を上げる。
そのような場面が、「若者の話聞く会」には溢れている。

さらに、若者にとって良かったか?というという問にはほぼ首肯できる。
第三回の若者の話聞く会は、普通に公に募集したら、第二回の参加者(わたしのツイッターフォロワーなので)が8割方埋まった。
※RTで拡散する前に埋まったということ。

 

■おっさん活動の可能性 ~成熟の問題~
かくして、「飯を奢って若者の話を聴く」という能動的な食によって、
良いコミュニケーションを獲得することができた。
これでは飽き足らず、次の場所にいこう。

人間としての成熟の問題だ。
私たちは好むと好まざるにかかわらず年を取る。
ただ加齢をすることと、成熟するということは別問題だ。
私は多くの成熟していない年寄りを見てきた(これについては、具体例を避ける。別の問題としてまた議論したい)
「好ましい成熟」とはなにか?ということだ。

おっさん活動という、若者に飯やモノを奢る活動を通して仮説がある。
それは、「時間をかけて物事を行う」ということだ。
簡単なようだが、現代においてそれはとてもむずかしい。

 

ゲームを例にとると、時間を描けて経験値をためてゲットするアイテムが課金をすることにより簡単に手に入るようになる。
余暇における時間の価値が、非常に高まっているともいえるし、お金の価値が弱まっているともいえると思う。
とにかく、私達は時間をかけないで物事を行うことを訓練されている。

特に、人と一緒に「酒食をともにする」という時間のかかることはしなくなる。
いや、飲み会は毎週いっているよ!という人もいるかもしれないが、
そういう人には、初めて合う人と飲み会にいった回数はここ半年で何回あっただろうかと聞いたら、
その数はかなり少ないのではないかと思う。

ゲームを例にすると、ポーカー用語で「Represant」という方法論がある。

Represent
ある特定のhand(役)になっていると見せかけて(あるいは本物の場合も含めて)bet(ベット)することをreprsent(リプリゼント)と呼ぶ。(以下略)
(参照:weblio辞書 https://www.weblio.jp/content/Represent)

 

 

私達が、食事できる回数は1日3回として365日。1年で1000回強しかない。
その食事をだれとどのように過ごすかのパターンは限られている。
学生だったら、学生の仕方で学生なりの人脈で飯を食うし、
サラリーマンだったら、サラリーマンの経済感覚の範囲で、付き合いの範囲で飯を食う。
そこからの逸脱をしてもいいのではないかと思う。

逸脱するためには、自分の手札から想像できる役ではなく、なりたい役・なるべき役を自らRepresent(そうであると振る舞う)することだ。

未来は誰にもはっきりとわからない。だから自分自信の役を自分で表現していこう。

 

おっさんでなくても自分を「おっさん」というhand(役)になっていると見せかけて、
自分の時間をbetする。
若者とは自認してなくても自分を「若者」という役になっていると見せかけて、
自分の時間をbetする。

 

Representすることによって、立ち上がる時間共有の場。
そこには新しく新鮮な手触りの時間が流れている。


これは、私が実際にやってきたからわかることだ。

どんな食事をして、どんな時間を過ごしても構わない。
我々には時間が限られているが、

早く成熟することにより、人生をより豊かにすることが可能だ。

 

さあ、Representしよう。
Make Game する時間だ。