ワカモノ思想

ワカモノ達が一つのテーマについてあれこれ書きます

『食』と『戦』

はじめまして、ちょいなみと申します。『陸の孤島』と呼ばれた辺鄙な立地の大学で、哲学などと言うものを日夜考えたり考えなかったりしていますが、お誘い頂いたので頑張って書いてみたいと思います。

今回のテーマは『食』だとか。何にすっぺ~とファミレスで一人考えてふと思いつく。そうだ、私がいつも他人に言っているクソ議論があるではないか。それについて書いておこう。そう思い立って、パソコンを立ち上げる。時刻は既に23時。明日は一限、修羅の授業。そう、この企画に蹴りをつけなければいけない。そう『戦』なのだ。

 

……戦?

 

ここでさきほどの私のクソみたいな持論の話をしよう。『戦』の話だ。私はいつも得意げにこういうのだ。

「歴史における戦や内乱の原因は決まって“金”か、“女”か、“食”か……それから、“信仰”だけだよね」

友人に指摘されて『信仰』を最近足したけれど、私のこの基本的な歴史に対する偏見は中学二年生の時からぶれないままだ。そう、戦の始まりはいたってシンプルだ。自由の為、平和の為。かっこいい言葉を使いつつも、その発端を生み出すのは『金』『女』『食』『信仰』なのだ!(明らかに過激)(ちなみに私は本当はジェンダー過激派なので『女』発言には違和を自分自身感じているが、それをうまく訂正する言葉が思いつかない。誰か代替案くださいませ)

で、今日のテーマは『食』だよね。はい。食と戦について3パターンほどまとめてみたいと思います。ちなみにこれは言い訳ですが、私は哲学徒であり史学徒ではないのでご了承をば。

 

   飢饉と一揆

飢饉によって作物は育たない。それだというのに、上は厳しく取り立てる(自分が生きられなくなっちゃうからね)。その影響で進む百姓一揆。百姓の~?ちょっとイイトコ見てみたい!ハイ、一揆一揆!(失礼しました)『食』と戦の関係と聞いて、やはり皆さんの中ではこのようなものが思いつくのではないのでしょうか?

これが「食糧難による戦」の例。逆に他にはどのようなパターンがあるだろうか?

 

   宗教と反乱

一番いい例は『シパーヒーの乱』かとおもう。1857年のインドでの反乱だ。簡単に説明すると、ヒンドゥー教徒イスラーム教徒がいる傭兵集団に支給された銃の火薬の薬包に、乾燥防止のために牛脂・豚脂が使用されていた。彼らはそれを口で噛み切って使ってたわけだけどそれを知って宗教上の理由で激怒。→反乱。の流れである。これはさっきの“信仰”も絡んでくることだよね

  これが『宗教上の食の制限による戦』の例。最後は?

   きのことたけのこ

戦に貴賤なし。そもそも戦に貴いものなんてあるのか?皆さんご存知「きのこ・たけのこ戦争」これもなんやかんやで食が原因だ。食が足りないから起きたわけじゃなくて、食の種類が飽和するくらいに増えたから生じてしまったものだけど。こしあんつぶあんも根深いよね。好きなものは好き。他人が好きなものはそれでいいじゃない。きのこ好きな人が少ないからって馬鹿にしちゃだめだよ(きのこの山派並感)

「食の好みに関する戦」これもきっとあるね。

 

 さて、なんやかんやでまとめてみたけどどうだろう?足りないだけじゃなくて飽和してても、何かと理由をつけてこっちがいいだとかあっちがいいだとか争うんだから、キリがないな。食べても食べなくても争うなんて、人間ってだめだめなのかも。と食について簡単に、脳死で少しまとめてみましたとさ。

『食』についての記事を書くのも、『食』にまつわることだからきっと戦だよね。うん、それでいいじゃない()。

思ったより早くかけたから、ちょっとデザート食べて帰ります。ここまで読んでくださってありがとうございました。