ワカモノ思想

ワカモノ達が一つのテーマについてあれこれ書きます

ラーメン二郎という食べ物について10000字でまとめてみた

 

若者がいけしゃあしゃあと何かを語る企画があると聞いたのは金曜日の午後だった。

 

その日、私(北)は東京から夜行バスで大阪に降り立ち、そこから新幹線を使って故郷・博多に戻ろうとした。

ふと、岡山のメガネ氏のツイートが目に留まり、岡山駅構内のカフェに彼を呼びつけてその話を聞くことになった。

 

今回のテーマは「食」。

 

恥ずかしながら、食と言われたときに僕は新しく何かこの世に価値のある思想を届けようと思えなかったのだ。

 

しかしながら、せっかくお誘いを受けたのであれば、このブログにとってなにかタメになるようなものを残しておきたいという心をいつまでもぬぐいきれずにいた。

 

メガネ氏はこのブログの開始宣言時にこのような言葉を放っていた。

 

・文章量は自由、17文字でも31文字でも140字でも全てを終わらせる2万字でも構いません!!!

 

おそらく、この企画に執念を燃やす変態が一人いた方がいいのかもしれない。

 

特に価値のあるものを送り届けられないと思った私は、一人1万字の文章をここに綴ることによって、「なんとなくやってみたいと思った遊びに一万字を捧げた人がいた」というプレゼントをメガネ氏に送りたいと思った。

 

 

そんなわけで、僕はかつて自分の体重を10kg増やすほどに愛した食べ物について書こうと思う。

 

 

その食べ物の名はラーメン二郎

 

「ニンニク入れますか?」

 

お腹をすかせた学生の食欲としょーもない優越感を同時に満たしてくれるその言葉に僕たちはヤサイマシマシと答えていく。

 

天下の慶應義塾大学の隣にありながら、非常に頭の悪そうな盛られ方をしたもやしとキャベツにげんこつほどの大きさの豚をのせる極太麺使用のラーメンは多くの肥満児を産み、多くの人たちの青春の1ページに名を刻むことになった。

 

 

そんな「魔」の食べ物について今宵は語ろうと思う。

 

私の同級生が大学の授業でこの論文を書いたときは6000字だったそうだ。

 

しかし、私はそれを超える10,000字書く。

 

やけくそのように盛られたあの野菜のごとく.

一食食べるだけで、1日分のカロリーを満たせてしまうあのカロリーのように…

 

 

 

マキシマムザ亮君はこれを一食につき二杯食べて尿結石になったという。あるブロガーはスープ完飲を続けたところ入院したと聞く。しずるの村上はその見た目を逆さ富士だと表現した。また、茂木健一郎はこれを最強のドーパミン料理と表現した。

ラーメン二郎。ラーメンでない、もはや宗教と呼ばれるほどに熱狂的なファンの多い三田を拠点として関東以東および以北で展開する料理店だ。いったいなぜラーメン二郎はこれほどまでに愛されているのはだろうか?

ここに初めて来たものは口をそろえてこう言う。

「二度と来るか」と。

これはタバコだ。酒だ。いや、それ以上にタチの悪いものなのかもしれない。

太陽が昇れば口開く。「二郎食べたい」

増える体重。進む成人病。

これほどまでのリスクがあるのにもかかわらず、なぜ人は二郎を食べるのか。

サークルジロリアン関脇の私の体験からその真髄に迫っていこう。

 

 

【二郎を食べる前】

 

二郎は豚の餌である。そう思っていた。私が福岡にいたときから2chまとめブログでその存在を認知させられたものの、とてもそれを食べたいとは思えなかった。また、上京してからは節約生活が趣味であったので、偶然見かけた池袋二郎の700円は非常に高額に感じていた。

700円も払って豚のエサかよ!!!!ステーキ買って焼いた方がコスパいいわ!!!」

きっと、私は一生二郎を食べないであろうと思っていた。

ヤツが来るまでは....

 

【初二郎】

 

その男は突然池袋にやってきた。彼の名は城之内一平。彼はMETSの名誉会員を自称しており、なぜかMETSにおいても一部の人にその名前を知られている。彼は京王堀之内、つまりラーメン二郎八王子野猿街道店2の近くに住んでいる。彼は私が福岡にいた時の幼馴染で共に節約生活をエンジョイしようと誓ったわけだが、彼は野猿二郎の味を覚えてしまったために、ジロリアンになった。そんな彼が池袋に来た時に言った。

 

「池袋二郎行こうぜ」

 

 

彼に付き合った我がサークルのメンバーは三人。現副代表富士岡、現企画部高尾、そして現ニート北である。

 

 

彼とは四限後に池袋二郎にて待ち合わせすることになった。冷たい雨が降っていた。水の雫が私達の身体に触れる度に、風が私達を撫でる度に私達は体力を奪われた。そんな中、彼は少し(かなり)遅れて到着した。幸い、私達がいたのは不味いことがアイデンティティである池袋二郎。(最近マズくなくなってがっかりしました)人はそれほど並んではいなかったため、すぐに入ることが出来た。小豚。通常のラーメンに豚(チャーシューのような豚)を足したモノだ。ヤサイマシニンニクアブラ。これが私が初めて食べた二郎である。一口食べてみると、強烈な油っこさとしょっぱさが舌を駆け巡り、次にきざみニンニクが放つ強烈な刺激を受けたために身を引いた。豚は硬い。野菜は井手ちゃんぽん(佐賀県唐津市発の佐賀ちゃんぽん)のそれに似ていた。

     

 

これは勝てる

 

 

このとき既に私の中で二郎は戦いになっていた。以下に目の前のこの巨大なブツを胃袋に収め屈服させるかどうかだけを考えていた。戦い方はまずは豚を食べる。その後麺を喰らい、最後に野菜を処理する。作戦は完璧であった。初めての二郎であったのにもかかわらず、なんとか戦いに勝利する。丼をカウンターに置こうとしたときに城之内からこんな言葉を聞かされる。

 

「スープ飲まないの?」

 

私の記憶の中の2ch二郎記事は曖昧であった。汁を完飲しないのはギルティー。(罪)そんなことが書かれたいないような気がしないでもなかった。スープから漂う異臭に困惑しながらもスープを飲み始める。辛い。からいしつらい。スープが喉を通る度に身体から冷や汗が流れる。私としてはスープそのものが冷や汗となって出てきているような気分であった。身体から警告が出ている。これ以上飲んではいけないと。しかし、私は中途半端にプライドが高く、負けず嫌いだ。ここで屈するような者ではない。そんな思い出なんとかスープを完飲し、テーブルを拭いて「ごちそうさまでした」と言って店を出た。

 

「完飲しなくてもよかったのに」

 

 

僕は城之内を殴り、次の日に体調を崩した。以降一ヶ月二郎に行くことはなかった。

 

 

野猿ショック】

二郎は美味しい。二郎代表とともに二郎会を企画した時にはいつもそう言っているが、私に二郎を初めて美味しいと思わせてくれたのは中央大学のお膝元・ラーメン二郎八王子野猿街道店2であった。その前の日、京王線上で塾講のバイトをしていたので、そのまま京王堀之内に向かい、城之内と合流した。八時半を過ぎていたのにもかかわらず、野猿二郎の前には10人ほど並んでいた。20分ほど待ってテーブルに着くと、そこにはマキシマムザホルモンのぶっ生き返すのポスターがあった。そこにはマキシマムザ亮君のサインが書いてあった。

 

「スープ全部飲んだら死ぬよ!」

 

あの時の思い出がフラッシュバックした。

 

池袋と同じように小豚を頼もうとしたが、野猿には小豚がなかった。そのかわりにBB、康太など聞き慣れない食券があった。城之内が豚をくれるというので、それで我慢することにした。このときのコールはヤサイマシアブラ。もうニンニクはいらない。

  

 

出てきた二郎。ひとくち食べろ。そう言われたから食べたろう。

 

体の中に稲妻が走った。

 

二郎がうまい!?そんなはずはない!!

 

口の中でとろけるホロホロの肉。パンチがありながらもただしょっぱいだけではない旨味を多く含む乳化したスープ。そして、池袋のときにはただ固くてゴワゴワしていただけの麺とは違い、ちゃんぽん麺の固めのような卵が絡んだ麺。そして、こってりとした口の中に爽やさを取り戻してくれるシャキシャキの野菜。どれをとっても完璧であった。城之内から約束通り豚を渡される。「え?いいの!?」嬉しそうに目を輝かせている私。口に頬張りさらなる幸せを噛みしめる。が、野猿二郎には当時の私にとって唯一の欠点があった。

 

ラーメンが全く減らない。

 

野猿二郎は二郎の中でも特に量が多い店舗であるとしずるの村上は自身の著書で語る。城之内からせっかく豚を分けてもらったのにもかかわらず逆恨み。美味しい。でもクドい....。苦しみながらもなんとか完食したが、そこには言葉では決して言い表すことのできない満足感があった。小学校のときに学校行事で30kmほど歩かされたこと。組体操が成功したこと。バドミントンの合宿で不思議なステップを300回くらい?やらされたこと。理不尽ともいえるのような暴力に対面して、それを自分が乗り越えてしまったときに感じるものに似ている。二郎はスポーツだ、エンターテイメントだ!二郎を食べることによる美味しいものを腹いっぱい食べる幸福感と絶望感と達成感。それ二郎なんだと。教えてくれたのは野猿二郎だった。これ以降、個人的に二郎に行くようになり、2年の時にはさまざまなところで代講(塾講におけるピンチヒッター的なもので関東のあらゆるところに飛ばされる)をしていたため、その度に職場周辺の二郎を探しては食べたため、インスパイア店(二郎っぽいラーメン)を含めると30店舗ほど食べ回っていたのだ。

 

【暫定二郎ランキング】

二郎代表は全ての二郎を食べ終わるまで決してこのようなことはしないと言っていた。当然ながら、このようなランク付け自体がジロリアンとして失格なのである。というのも、牧田によると二郎の各店舗はその店舗の店主が最高だと思う二郎を独自に作り上げているので、ナンバーワンではなくもともと特別なオンリーワンなのだ。だれがタイムリープしようとも変えられない真実である。

しずるの村上はこれをAKBのようなものだと表現した。それぞれ個性があって、その個性に噛み合うからこそ強いと。もし仮に二郎がクラスの美少女で自分にとってのアイドルで乃木坂であるのならば「推しメン」が存在するのは当然であろう。今回は30店舗行った私の推しメンを紹介したい。

 

◯二郎直径

一位 野猿二郎

     

私にとって初めて二郎というものを教えてくれた存在。ルールにしたがってやらされるのではなく、自ら困難に挑んで、戦う。そして勝利し、クールに片付けて退場する。そんな「スポーツ」を教えてくれたのだ。スポーツマンシップに則って相手、つまり丼やカウンターには最大限の敬意を払う。でもマキシマムザ亮君の忠告どおり死にたくないんで、完飲はしないっす。ごめんなさい。

 

二位 三田二郎

     

二郎の創世神。全ての伝説はここから始まった。二郎オブ二郎にふさわしい初代二郎。たまにある神豚(すばらしい)もアブラも野菜マシマシも全てはここから生まれたのだ。そんな伝説の店舗は慶應義塾大学の正門近く。そのため、多くの慶応ボーイが通い、全ての二郎の店舗には必ずと言っていいほど慶應関係の感謝状があるのだ。小ラーメン600円と抜群のコスパを誇り、量もちょうどいい。ここのマシマシだったら食べられる。というか、初めて二郎でソロマシマシした店舗。二郎のスタンダードを貫いた二郎。スープの旨味も麺も全てはここが基準になる。まずは食べよう。ちなみに3時とか5時とかに行くと割とすいてるよ。この前野猿を食べるまではここが一位でした。

 

 

三位 仙台二郎

仙台まで来て二郎かよ!!!二郎代表に煽られて来てしまった場所。当時体調不良のためにヤサイアブラカラメにしていたがホンネはもっと食べたかった。だって美味しいんだもん!!味としては野猿二郎のようにスープに旨味があるものの、三田のような麺とアブラっぽさを残す野猿と三田の良いとこ取りといったところか。ここだけの特徴としてアブラにもしっかり味が付いている。客層は本当に多様で私が並んでいた時には小学生も来ていた。もちろん女子も。ただ、行く時には日曜日の昼は避けたほうが良いと思う。昼に行列覗いたらiPhoneの新製品発売並に並んでいたため、旅行の貴重な時間を使うにはかなり気が引けるだろう。なのでこちらも六時などの中途半端な時間が狙い目。ちなみにかつて東北にはここしかなかったため、今よりももっと並んでいたらしい。

 

 

 

◯インスパイア系

一位 【死亡】日の出らーめん×肉を喰らえラーメン

     

野猿のような麺、旨味に全力投球なスープ、そして二郎の2倍はあろうかというホロホロ豚。全てにおいて完璧であったため、一番大好きな二郎であったが、肉を喰らえラーメンが独立したため現在は食べれず。え?食べれるんじゃないの??と思うあなた。独立したら完全に別物になってしまっていたんです。悔しい。ちなみにこれを最後に食べたのは肉を喰らえラーメン独立前夜。駆け込みセーフって感じっすね。

 

 

二位 富士丸ラーメン王子神谷本店

 

     

旧赤羽二郎の店主が始めた二郎インスパイア。甘みと旨味の絶妙なコラボで送るなんとなーく関西好みというか福岡好みな味。アブラは別皿で出てくるがこれもまた旨味が足されて格別。アブラに関しては一番美味しい。肉もドカッと入ってて食べごたえが良い。ただし、王子からも赤羽からも王子神谷からも歩くので注意。

三位 千里眼・モッコリ豚(写真なし)

     

かなり迷った。千里眼は本郷にある二郎インスパイア用心棒から派生してできた二郎インスパイア。なんで用心棒かこれかで迷った。モッコリ豚は朝霞台?にある二郎系ラーメン。名前は卑猥だが味は良い。千里眼の特徴は辛揚げと呼ばれる赤い揚げ玉をトッピングできるのが特徴だ。また、千里眼の豚は豚バラをロールしたような感じになっているので野猿以上に豚がとろける。千里眼は数ある二郎インスパイアでの中でもかなりの好評化を得ている。乳化しつつなおかつ旨味に溢れているスープと辛揚げにハマれば代々木上原にわざわざ行くくらいに!?あ、僕は成城学園の帰りに一回寄っただけです。はい。

モッコリ豚。うまいのは覚えてるんだけどどんな味なのか書こうとしたらかぶりまくる。文章表現力のなさだね。あーあ。ちなみに、朝霞台からここに向かうまでの道が怖い。本当に道があってるのかどうか不安になる。

 

【二郎の歴史】

ラーメン二郎が開業した年は1968年。ベトナム戦争は泥沼と化して、日本中だけでなく世界中が反戦ムードに湧いた。また米国内でもキング牧師が暗殺され、日本では3億円事件が起こった。娘の人権を訴えた栃木実父殺害事件もこの年に起きた。そんな中、ラーメン二郎は「普通のラーメン屋として」開業した。youtubeに昔のラーメン二郎の映像が残っているが、こちらはだいたい1995年位のラーメン二郎である。その1995年当時の二郎がこちら。

 

 

 

     

すこし量が多いかな?ってくらいのラーメンであり、特別変わったところは麺が多めというか太めなところくらいだ。しかしながら映像を見る限りでは、既に二郎の伝統であるKO関連の旗などがあるだけでなく、KOOBの名刺も大量に貼られてあった。三田本店そのものも現在よりキッチンに余裕がある。何よりもかつての二郎の価格に驚きを隠せない。

これはとあるテレビ番組の中での映像であるが、このとき二郎はある危機に直面していた。

 

なんと道路整備の立ち退き指定箇所に二郎がすっぽり収まっているのだ。そのためKO大学のOBたちが二郎存続のための署名活動をしていたのだ。結果として道路整備が行われ、ラーメン二郎はその場所から姿を消したが、店舗移転したためにその存在は残り続けた。しかし、新三田本店の店舗面積は以前に比べかなり縮小してしまっている。そんな二郎にとって苦境とも言える1990年代であったが、その時にある大きな転機が訪れる。

1995年。ラーメン二郎目黒店とラーメン二郎仙川店がオープンした。これが現存する最初の二郎の暖簾分けである。二郎の暖簾分けは書く二郎直径の店で修行した後、創業者の山田氏のいる三田店で修行し、山田氏に認められて店をオープンさせることができる。目黒店の店長は慶應生のときに二郎に心酔し、その後旧赤羽店(現在のラーメン富士丸)を発見したことで「二郎って新しく作れるのか」ということで山田氏に弟子入り。晴れて目黒二郎をオープンさせることが出来たのだ。

以降、2000年までに歌舞伎町(1997)、品川(1997)、小滝橋1999)などの店舗がオープンするが、2000年からは急速にその店舗数と売上を伸ばすことになる。

インターネットではこのような噂があった。

 

いやー、昨日のセカンドはやられました。はめられました。

第一ロッター・・・・・小カタメ少なめ 第二ロッター・・・・・小カタメ

第三ロッター・・・・・小カタメ麺半分 第四ロッター(俺)・・・大

 

見事デスロットです。今思うと前の三人、確信犯だったと思う。

 

 

 

知り合い同士みたいだったし(てかよく見る奴らw)、第三ロッターのメガネが俺の食券見た後、前二人とひそひそ喋ってた。

『あいつ、ロット乱しにして恥かかしてやらない?w』

こんな会話してたんだろうな・・・

いつも大を相手にしてる俺に嫉妬してんだろうな。。

陰険なやり方だよ。正々堂々と二郎で勝負しろよ。

正直ロットタイムは心臓バクバクだった。

でも俺は覚悟決めた。この卑劣なやつらに勝負挑んだよ。

ロット乱して店主に恥かかせるわけにはいかないし、一応ここの常連の看板背負ってるしね。

焼け石に水かも知れないけど、一応ヤサイは少な目コール。

三人もさすがよく来てるだけって(あえて常連とは呼ばない)素早いフットワークだった。

やきもきしながら俺も遅れて戦闘開始。タイムラグは二分近くはあったと思う。

今俺がすべきことは二郎を味わうことや、ロットリズムを楽しむことではない。

『いかに早くこのブツを胃袋にぶち込むか』これだけを考えた。

結果ですが、なんとか三位に入ることができました。。

あいつらの唖然とした表情は俺の最高のデザートだった。

平常心を装ってさりげなくいつも通りの『ごちそうさま』と店主に軽く会釈

その時、店主と目があった。

店主の目は少し笑っているようにも見えた。俺もついに店主に認められたかなw

 

三馬鹿トリオがその後どうなったのは知りません。

しかし一言だけ言わせてもらう。

『勝負する時は相手を選べ』

 

以上レポっす。チラシの裏すんません。

いわゆる二郎コピペと言うものである。これに似た一種の狂気を匂わせるようなコピペが2ちゃんねるで出回った。いったいなぜただのラーメンにこれほどまでに狂気じみた投稿がされるのか。その真相を確かめるべく好奇心旺盛かつお腹の空いた大学生がこぞって二郎に並んでいったのだ。ある大学生はそれに絶望を感じただろう。しかし、同時に初めての二郎でその快感を得てしまった大学生もいただろう。そのため、絶望を感じた大学生も再び二郎を訪れる。

「二郎は三回食べたら覚醒する」

三回食べなければ真の二郎の魅力に気付けない。池袋の二郎インスパイアであるらーめん大には「美味しいかどうかは三回食べて判断してください」と書いてある。三回どころか50回は経験している身としては彼の言わんとすることがわかる気がするのだ。

初めは圧倒的暴力の前に絶望する。二回目は遠慮気味に注文。そして三回目には自分のキャパシティを理解し、適切な注文ができるのだ。すると暴力ではない達成感、暴力ではないので初めて最後まで味わうことができる。そして二郎の全てを知るのだ。

そのようにして二郎のファンは増え、ファンが増えるに連れて店舗も増えた。

そして2011年、ついに仙台にまで進出するのであった。この年から二郎の取材はNGになる。これは東日本大震災の復興のためにつくったなんて美談を作りたくないからであると考えられる。たしかに、変な美談を作られてしまってメディアへの露出が増えれば、今までの常連さんがさらに行きづらくなる可能性が考えられる。それを避けてメディアへの露出を控えたのかもしれないがこの思惑は外れてしまった。というのも、メディアへの露出がなくなったことによって、より二郎の神秘性が増してしまい、結果として二郎の正体を確認するには実際に行ってみる他なくなったのだ。さらにこの時、2chまとめブログの全盛期の時代であったこともあり、便所の落書きであったはずの2chがより世の中に浸透していった。そのようなこともあって、現在二郎は関東圏以外の人にも知られており、上京した大学生の一つの達成目標となっているのだ。

 

 

【わたしにとっての二郎】

 

 

初めに書いたように私はラーメン二郎のことを豚の餌だと思っていた。しかし、今は違う。現在、私は二郎代表と共に多くの一年生を二郎に連れて行っている。単純に二郎は美味しい。ただ、それだけに留まらない魅力を持っているのだ。そうでなければ、入院してまで二郎を食べ続ける人はいないだろうし、二郎で一冊の本、そしてマンガを描き上げる人も現れないだろう。

二郎は宇宙である。宇宙が私達の外にあるのか中にあるのかはわからない。聖闘士星矢では抱きしめた心の小宇宙を熱く燃やして奇跡を起こせと言っているし、カプーアは薄暗い部屋の中に巨大な黒い「穴」を作ることで宇宙を表現した。誰もが宇宙そのものを知ることができない。しかしながら、私は個々で二郎を通して宇宙を語りたい。宇宙は一見すると何があるのかわからない。そこに広がっているのは果てしなく続く無。しかしながら、一つ一つは無でしかないのにもかかわらず宇宙はさまざまな神秘を持ち合わせている。フレアに包まれた無限の火炎の恒星を生み出したかと思えば、青く輝く地球を生み出した。全てを与えてくれるようにも思えるのに、あるとき突然星に終わりを告げ、その中心に光すら飲み込む永遠の闇を生み出す。さらに、宇宙の外側を知るものはなく。むしろそのようなものはないという意見もあるのだ。それほどに宇宙は神秘的なものであり、だれがそれを認識できるものではなく、それを描く人によって宇宙は形を変えていく。

 

 

二郎は宇宙と同じように形を変えていき、決して捉えることができないものである。二郎には当日のスープの煮込み具合や麺の湯で時間、さらに切られた豚の部分によって味を変化させる。大手の食品工場に見られるような徹底的な室内環境管理をしているわけではないし、コンマ以下の狂いもないような黄金のレシピもない。もし二郎にそのようなものがあれば、間違いなくジロリアン(二郎を愛する人々)は全国各地の二郎を巡るはずはないし、二郎の個性も失われてしまっているだろう。

 

 

二郎とは何か。二郎というコンテンツに何を求めているのか、何を期待しているのかによって二郎によって私達が受け取るものは違う。同じテーブルに着いた者にスピード勝負を求める人もいるし、より巨大な二郎を食べることで自分の限界を高めようとしている人もいる。さらに、純粋にその神秘さに魅了されて二郎に足を運ぶものもいるし、純粋に二郎の美味しさを求めてプチ次郎を求める人もいる。それは、私達がまだ訪れない将来に対して漠然とした期待を抱くことに似ているし、過ぎ去った過去を見て理想の過去を作り上げてその楽しさや苦しみを懐かしさに包んで今に思い起こすことにも似ている。また食べている時に味を楽しむ者もいれば走馬灯を思い起こす者もいる。ただ、食べきった瞬間の快感はどんな言葉にも当てはまらないし、二郎を食べきった者にしかわからないものである。茂木健一郎は食べている途中に分泌されるドーパミン、食べ終わった瞬間のドーパミンから最強のドーパミンフードだと表現した。興奮は快楽である。快楽であるからこそ、誰もが興奮を求め、興奮を思い起こす。私達がドーパミンによってすべての行動を決められてしまうのならば、私たちはドーパミンによって支配されているとも言えるし、そのドーパミンを多く提供する二郎に支配されているとも言えるだろう。かつての人間が極度の近代化によって自然そのものを支配したような錯覚に陥ったものの、結局は自然に足して対抗する手段がないと知ったときと同じように、私たちは二郎に支配されていることに驚く。しかしながら、二郎が一体どのような力をもってこの世界を支配しているのかはわからない。

 

 

宇宙もそのようなもので、私たちは宇宙に生きているものの、宇宙からどのような力を受け取っているのかはわからない。装甲騎兵ボトムズで宇宙全体の戦争を支配するワイズマンをキリコ・ビューティーが打ち倒した後でも人類の世界から戦争が消えなかったように、解析しても解析しても新しい因果が生まれてくる世界こそが宇宙なのだ。そのように私たちは二郎の何にハマっているのかがわからない。あの巨大かつとろとろだったりパサパサだったりしょっぱかったりする豚なのか、うどんみたいだったりラーメンじゃなかったりコシがあったりする麺なのか。まるで巨大なスライムのようだったり絡みつく雪のようであったりさらには水のように透き通ったものであったりするアブラなのか。マシ、マシマシ、タワー、チョモランマ、ダブル、トリプルとその形と含まれる野菜を変えることができる野菜なのか。結局のとおろ、私たちは二郎の何が好きなのかもわからず、今日も二郎に入り野菜マシマシを唱えている。

 

 

【二郎を食べるためには?】

 

この一万字を超える奇妙かつ奇怪かつ猟奇的な文章をここまで読んで、二郎を食べたいと思った人が多くいると思われる。そうであるのならば、まずは一度お店に足を運んで欲しい。もし1人で行くのが億劫・怖いというのであれば二郎代表や私に声をかけて欲しい。私たちは月に一度のペースで「二郎を食べてみたい!」と思ったor言っていた人と共に二郎を食べに行く二郎会というものを個人でしている。そして毎度、二郎を食べてみんながいい顔をして帰っていくのがたまらなく嬉しいし、再び誘った時にはまた快くOKをしてくれるのがもっと嬉しい。二郎会はまさに参加してくれた人たちが作っていると言っても過言ではない。むしろ、二郎に果敢に挑戦してみたいという好奇心の強い人達が多く集まるのがこの二郎会なのである。二郎会をやっている理由はただひとつ、私たちここまで人を猟奇的にさせる二郎についてもっといろんな人に知ってもらいたいと思っているからだ。また、二郎会の後にはそのお腹を空かせるような楽しい遊びもある。遊び目的で来てもいいし、ただ純粋に二郎を食べたいと思って来てくれてもかまわない。私達が二郎に求めるものがそれぞれ違うように、二郎会にも何を求めてもいいのである。飽きるなき探究心も、スポーツ根性での成長もなにもかもを含んでいるのが二郎であるのだから。

 

【参考文献およびウェブサイト】

村上純2013、『人生に大切なことはラーメン二郎に学んだ』、光文社

牧田幸裕、2010、『ラーメン二郎にまなぶ経営学大行列をつくる26(ジロー)の秘訣

youtube2015、『ラーメン二郎脳科学 ramen jiro』、https://www.youtube.com/watch?v=yNutaHhQEyI

youtube2010、『昔のラーメン二郎』、https://www.youtube.com/watch?v=MPhleYTogyc

 

【書いた人】

 北 祐介

立教大学文学部教育学科の5回生。

福岡っ子。哲学対話ファシリ/ごちゃ混ぜワークショップ職人/クラファンで島開拓/元ホームレス/現在和光市にて貰い物とゴミで暮らし、曖昧なホームレスたちを泊めるオープンソースな一人暮らしをしている。

世界初・SM polcaやってました

 

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